自運作品唐詩選より七言絶句第161首目「崔敏童」詩「宴城東荘」

「自運」とは、中国語の「自己運筆」の省略したもので、「自分が主体になって字を書く」ことだと、認識しています。
すると、「創作」という語とどう違うのか?という質問を受けそうですが、私は、「創作」とか「創作作品」という言葉は、あまり、好きではありません。
それは、「書道」には、適当だとは思えないからです。「書道」には、創作しようとする以前に、勝手に変える事のできないものがあります。それは、「言語」であり、「文字」であります。
その他に、字を書くために必要な「書法」というものもあります。また、「文字」や「言語」を書くということになれば、「文章」や「詩」も選ばなければならないでしょう。
「詩」や「文章」は、「自分の作ったもの」や「他人が作ったもの」などがありますが、「自分がつくった詩」を書いたとしても、「詩」としては「創作」といえるかも知れませんが、それを「書」として、「創作」というには抵抗があります。このように、「書道」には、書く以前に、筆者が勝手に変える事ができない事柄があるのです。
このように考えると、「創作」という言葉が、どんなに素晴らしくとも、やはり、「書道」には、適切だとは思えませんし、使うには抵抗があります。


気高く清らかである
機(


